87日:「急性危機」から「慢性リスク」へ

前回の速報(Vol.5:5月7日付)では、イランがUAEフジャイラにミサイル・ドローン攻撃を行い、「ホルムズを避ける迂回路」の要衝が直接標的になったことを報じた。あれから18日——危機はさらに長引いた。

2026年2月28日のホルムズ封鎖宣言から5月25日まで、87日が経過した。最初の数週間は「いつか終わる急性危機」として捉えられていたが、状況は変わった。核交渉の主要争点は87日経っても埋まっておらず、大手海運会社は依然として通過に慎重な姿勢を崩していない。

ホルムズ危機:3つのフェーズの変遷

フェーズ期間特徴
急性期 2/28〜4/17 封鎖・デュアル拿捕。市場は「いつかは解決」と想定し、原油は乱高下
交渉期 4/17〜5/7 「開放表明」で楽観→フジャイラ攻撃で失望。核交渉は並行して進むが進展なし
慢性期
(現在)
5/7〜 通航は部分回復で「低水準の常態化」。LNGプレミアムが恒常的に織り込まれ始める

「慢性期」の最大の特徴は、市場が「危機終了」を待たなくなりつつある点だ。LNG JKMスポット価格は4月の最高値から下がったものの、危機前の水準には戻っておらず、「高止まり」が新しい基準として定着しつつある。

核交渉の膠着:主要争点は87日で変わらず

Vol.3(4月18日)の時点で、核交渉の最大の障壁は米国が要求する「ウラン濃縮20年間停止」とイランが主張する「3〜5年停止」の隔たりにあることを報じた。5月25日現在、この溝は基本的に変わっていない。

争点 米国の立場 イランの立場 5月時点の状況
ウラン濃縮停止期間 20年間停止 3〜5年停止 最大の隔たり、進展なし
フォルドー地下施設 廃棄 維持・縮小 イランが強く拒否
制裁解除の順序 段階的・条件付き 先行・包括解除 依然対立
IAEA査察強化 即時・強化 限定的に応じる 技術協議中

出典:ロイター、Bloomberg(2026年5月)。「5月時点の状況」は各種報道をもとに編集部整理

4月中旬のパキスタン仲介で「覚書締結後60日以内に包括合意」という楽観論が浮上したが、5月に入って同チャンネルからの進展報告は聞こえてこない。独ハパックロイドの技術部門は5月20日の声明で「通過条件が改善されたとは言えない」とし、引き続き迂回航路を優先すると表明している(ロイター、2026年5月20日)。

PortWatch が示す「不完全な回復」の現実

IMF PortWatchが追跡するホルムズ海峡のタンカー通過隻数(7日移動平均)は、「開放表明」直後に一時回復したものの、フジャイラ攻撃後に再び低下し、5月下旬時点で危機前比80%前後の水準で推移している。

期間 通航量(7日MA) 危機前比 主なイベント
2/20前後(危機前) 約155隻/日 基準(100%)
3月前半(封鎖直後) 約90隻/日 約58% 封鎖宣言、機雷敷設報告
4/17〜4/25(開放表明後) 約135隻/日 約87% イラン「開放」表明、原油急落
5/4〜5/15(フジャイラ後) 約118隻/日 約76% フジャイラ攻撃、VTTI被弾
5/18〜5/24(直近週) 約123隻/日 約79% 交渉停滞続く、目立った動き なし

出典:UN Global Platform; IMF PortWatch - Strait of Hormuz。タンカー通過隻数(7日移動平均)。AISで追跡可能な船舶のみ対象のため実際の通過数より少なく計上される場合があります。

特筆すべきは、LNG積荷専用船の通過比率が原油タンカーよりも回復が遅い点だ。LNGタンカーは火災・爆発リスクの観点から船主・保険会社の判断が保守的になりやすく、機雷の脅威評価が変わらない限り、通航再開に慎重な姿勢が続く可能性がある。

LNG JKM:危機プレミアムの「定着」

LNG JKMスポット価格(アジア着)は、4月の急騰局面から若干の調整が入ったものの、危機前水準には戻っていない。「開放表明」後の原油急落がLNGに波及する場面もあったが、構造的な供給制約が解消されていない以上、下落は限定的にとどまった。

時期 JKM スポット($/MMBtu) 危機前差
2026年1月 16.2 基準
2026年2月(封鎖前後) 17.1 → 19.8 +3.6
2026年3月(封鎖中) 23.8 +7.6
2026年4月(ピーク〜開放表明) 25.4 → 22.1 +9.2〜+5.9
2026年5月(フジャイラ後・現在) 21.9 +5.7

出典:各種報道・市場データをもとに編集部推計。JKMは週次スポット価格の月平均。

1月比で+5〜6 $/MMBtuの「危機プレミアム」は、核交渉に進展がない限り5月以降も維持される公算が大きい。さらに重要なのは、この価格水準が「夏の電力需要期」とぶつかる点だ。

夏の電力需給:6〜8月というタイムプレッシャー

日本の電力需要は6月から上昇局面に入り、7〜8月がピークとなる。LNG火力は夏の電力供給に不可欠な電源であり、スポット価格の高止まりが続く中での夏本番は、電力調達コストに二重の上昇圧力をかける。

夏の電力調達に対する「ホルムズ危機」の3つの波及経路

  • ① LNG調達コストの上昇:JKM高止まりがスポット調達・スポット補完調達のコストを直接押し上げる。危機前比+5〜6 $/MMBtuが続けば、年換算で調達費用は数十億円単位で増加する規模感がある
  • ② JEPXスポット価格の上昇5月の週次データでは直近週(5/18〜24)の東京エリア平均が20.1円/kWhに達し、4月平均を上回る。夏の需要増で追加の上昇圧力がかかれば、スポット調達依存の事業者に影響が集中する
  • ③ 夏季スポット補完のタイミング逸失リスク:LNG調達は積み出し船の確保から逆算すると、夏本番の2〜3ヶ月前(すなわち今)に動かなければならない。交渉解決を待ち続ければ、需要期直前のスポット調達を高値で余儀なくされる

JEPX市場データで見ると、4月前半(17〜18円/kWh)→ GW期間(13〜14円/kWh)→ GW明け以降(16〜20円/kWh)と、「危機前の水準(12〜15円/kWh)」への回帰は起きていない。LNG高止まりが電力市場の「フロア価格」を引き上げている構造が続いている。

「恒常化」フェーズ:調達戦略の転換点

Vol.1からVol.5までの5回、私たちはこの危機の「何が変わったか」を追ってきた。Vol.6で確認できることは、危機の性質そのものが変わりつつあるということだ。

戦略前提 急性期(〜4月) 慢性期(5月〜)
危機の終わり方 数週間〜2ヶ月で解決 核交渉次第で半年以上も
LNG調達の対応 短期スポット回避・待機 中期契約への切り替えを検討
JEPX価格の想定 危機後に正常化する前提 20円台が夏の新常態になる可能性
リスク管理の主眼 短期の価格急騰を凌ぐ 高値圏での収支持続性を確保する

核交渉が突破口を開く可能性は残っている。しかし「いつ解決するか分からない問題」に対して調達戦略を待機させ続けることは、待機コスト自体がリスクになる。

いまの状況を一言で言えば

87日たっても核交渉は進まず、海峡は80%水準で止まり、LNGは危機前より6ドル高い。「もうすぐ解決する」という想定で組んだ調達計画が、夏本番に向けて次第に機能不全を起こしかねない局面にある。「危機が終わるまで待つ」は戦略ではなく、ただの先送りだ。

小売電気事業者が今月取るべきアクション

  1. 夏季スポット補完の調達ウィンドウを確認する
    7〜8月の電力需要を賄うLNG調達は、遅くとも6月中旬までに積み出し船を確保する必要がある。今週〜来週が実質的な「調達判断の締め切り」に当たる事業者もいるはずだ。LNGブローカー・商社との接触を今すぐ行うべき時期にある
  2. スポット依存ポートフォリオの感度分析を行う
    JEPXが20〜25円/kWhで推移した場合の月次収支影響を、実際の需要計画にあてはめてシミュレーションする。「高値が続いても持つか」が分かれば、必要なヘッジ量が明確になる
  3. 核交渉の進捗を「ノイズ」と「シグナル」で読む
    「原則的に合意した」「技術的な詳細は後回し」という報道は、過去にも繰り返されてきた典型的なノイズだ。真のシグナルは「ウラン濃縮停止期間で数字が一致した」「IAEA査察日程が確定した」など具体的な合意事項の報道だ。ノイズで調達戦略を動かすと振れ幅が大きくなる
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