49日で一周した危機 ── 恒常化 → 終戦 → 崩壊
前回のVol.6(5月25日付)では、危機が「急性期」から「慢性期」に移行し、LNGの危機プレミアムが恒常化しつつあると報じた。そこからの49日間で、情勢は「恒常化」の想定すら超えるスピードで動いた。
ホルムズ危機:フェーズの変遷(更新版)
| フェーズ | 期間 | 特徴 |
|---|---|---|
| 急性期 | 2/28〜4/17 | 封鎖・デュアル拿捕。市場は「いつかは解決」と想定し、原油は乱高下 |
| 交渉期 | 4/17〜5/7 | 「開放表明」で楽観→フジャイラ攻撃で失望。核交渉は進展なし |
| 慢性期 | 5/7〜6/14 | 相互の船舶攻撃・拿捕が断続的に継続。プレミアムの「定着」が進む |
| 合意期 | 6/14〜6/20 | 停戦延長→6/17 イスラマバード覚書署名。封鎖解除、原油・LNG急落 |
| 崩壊期 (現在) |
6/20〜 | イラン再封鎖宣言→7/8戦闘再開。通航ほぼ停止、価格は反転上昇 |
特筆すべきは、「終戦」と「崩壊」の間がわずか3週間だったことだ。6月17日の覚書署名を受けて市場は一気に停戦を織り込み、原油・LNG・JEPXスポットのすべてが急落した。その前提が、いま音を立てて崩れている。
イスラマバード覚書 ── 「14項目」は何を約束したか
6月14日、米・イランが停戦延長とホルムズ海峡の再開で合意したとの報道(Axios)が流れ、6月17日にはトランプ大統領とペゼシュキアン大統領が14項目の覚書(イスラマバード覚書)に遠隔形式で署名した(CNN)。骨子は以下の通りだ。
イスラマバード覚書(2026年6月17日)の骨子
- 戦争の終結とホルムズ海峡封鎖の解除:翌18日には米側の海上封鎖も解除され、タンカーが数カ月ぶりに海峡を「自由通航」(AP系報道)
- 60日以内の最終核合意を目標とする交渉枠組み(相互同意で延長可)
- 濃縮ウラン備蓄はイラン国内でIAEA監視下のダウンブレンド(低濃縮化)を行う方向性を明記
- イランは「核兵器を決して製造しない」と宣言(Times of Israel)
6月19日には米・カタール・イランの仲介でイスラエル・ヒズボラ間の停戦も成立し、地域全体の緊張緩和が進むかに見えた。
ただし、Vol.6で整理した核交渉の主要争点──ウラン濃縮の停止期間(米「20年」vsイラン「3〜5年」)やフォルドー地下施設の最終的な扱い──について、決着がついたことを示す報道は確認できていない。覚書はあくまで「60日で最終合意を目指す」枠組みであり、対立点は先送りされた形だ。
崩壊の経緯 ── 6月20日の再封鎖宣言から7月の戦闘再開へ
署名からわずか3日後の6月20日、イスラエルが南レバノンへの攻撃を継続したことを受け、イランは「合意違反」として海峡の再封鎖を宣言した(Washington Post、Bloomberg)。米側は封鎖の事実を否定し、CENTCOMは「海峡は封鎖されておらず、55隻が安全に通航した」と反論。一方で報道ベースの通航観測は6月22日(日)に12隻と前日の35隻から急減しており、「封鎖の実態」については当局発表と観測データが食い違ったまま推移した。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 6/20 | イランが「合意違反」を理由に再封鎖を宣言。米は否定 |
| 6/25〜27 | 商船 Ever Lovely・Kiku が相次ぎ被弾。IMOが避難計画を一時停止。CENTCOMがイランのミサイル・ドローン関連施設に報復空爆 |
| 6/28〜29 | 米・イランが攻撃停止で再合意。ヴァンス副大統領がスイス入りしジュネーブで交渉再開へ。WTIは70ドル台を回復 |
| 7/7 | LNGタンカー Al Rekayat が火災で放棄、サウジ籍タンカーも損傷。以降、大型船(1万重量トン超)のAIS発信下での通航が停止 |
| 7/8 | 米国がイランへの攻撃を再開。原油価格は急騰し、「プレ戦争水準」への低下が反転(Al Jazeera) |
| 7/10 | 通航がほぼ停止。約6,000名の船員が数百隻とともに域内に取り残されていると国連が警告。米財務省は対イラン石油制裁を再発動 |
| 7/11〜12 | コンテナ船 GFS Galaxy が放棄(船員1名不明)。IRGCが海峡「封鎖」を再宣言し、米はミサイル陣地・高速艇を空爆 |
出典:Washington Post、Bloomberg、CNBC、Al Jazeera、Axios、UN News ほか各種報道(2026年6〜7月)を基に編集部整理
通航量:報道ベースで「危機前比96%減」
通航量の観測値は情報源によって幅があるが、方向性は一致している。危機前の通航は約130隻/日(Al Jazeera)。6月17日の覚書後にいったん回復した通航は、7月8日の戦闘再開で崖から落ちるように減少した。
7月の通航急減(報道ベース)
- 7/6(月):45隻が通航
- 7/8〜10:水曜〜木曜早朝でわずか5隻。Al Jazeeraは「危機前比約96%減」と報道
- 7/7以降:1万重量トン超の大型船によるAIS発信下の通航はゼロ
注意すべきは、AISを切って航行する船舶が捕捉されないため、観測値は実態より少なく出る可能性がある点だ。それでも、LNG船を含む大型船が「トラッキング可能な形では一切通っていない」という事実は、船主・保険会社のリスク評価が4月の封鎖初期と同水準まで悪化していることを示す。
価格:織り込んだ停戦が巻き戻される
6月の価格急落は劇的だった。EIAの短期エネルギー見通しによれば、Brent原油の6月平均は85ドル/バレルと、4月ピークから30ドル以上低下。LNG JKMスポットも6月中旬に週間で18%下落し、6月下旬には15〜16ドル台まで沈んだ(Global LNG Hub、Natural Gas Intelligence)。
その巻き戻しが7月8日から始まっている。Brentは7月10日時点で76.58ドルと週間で約4ドル上昇し、アナリストの間では在庫減少を背景に「夏場に10〜15ドルの上振れ」を見込む声も出ている(Al Jazeera)。JKMも7月9日に16.58ドル/MMBtuと反発に転じた。
「6月の急落」を新常態と誤認するリスク
6月下旬〜7月上旬の燃料価格・電力価格の沈静化は、イスラマバード覚書による「終戦の織り込み」が生んだものだ。その前提は7月8日に崩れた。現時点の反発幅(Brent +4ドル/週、JKM 16ドル台)はまだ限定的だが、通航ほぼ停止という実態が続けば、4月型の急騰が再現されるリスクは十分にある。
日本の電力市場への含意 ── JEPXは「再燃」をまだ織り込んでいない
JEPXスポット市場は、6月の東京エリア月平均が20.01円/kWhと前年同月比で5割超高い水準だったのに対し、覚書後は急落し、7月上旬(7/1〜12)は平均15.47円と、ほぼ平年並みまで沈静化した。詳細は同日公開の市場動向レポートで分析しているが、重要なのは、この水準に7月8日以降の戦闘再開がまだ反映されていないことだ。
日本のLNG調達に対するホルムズ危機の影響は、構造的には限定的とされてきた。LNGの中東依存度は約1割、ホルムズ海峡経由は輸入量の約6%(年約400万トン)にとどまり、電力・ガス各社は危機発生時点で約400万トン──ホルムズ経由LNGのほぼ1年分──の在庫を確保していた(資源エネルギー庁)。
それでも影響は着実に実体化しつつある。3月のLNGスポット急騰分は燃料費調整制度の算定期間に入り、早いケースでは6月請求分から電気料金への反映が始まっており、7〜8月に上昇幅が本格化する見通しだ。東京商工リサーチの6月調査では、回答企業の85.0%が資材・エネルギーの「調達量・価格のいずれかまたは両方に支障」と回答している。
小売電気事業者が今週から確認すべき3点
- 7月中下旬のスポット価格反転リスク:燃料市況の反発がJEPXに波及するタイムラグはこれまで2〜4週間程度。夏季ピーク需要(7月下旬〜8月)と重なる時期の再上昇シナリオを、調達計画に織り込んでおく必要がある
- 「停戦前提」で組んだポジションの点検:6月の価格急落局面でスポット比率を高めた、あるいは相対・先物の手当てを先送りした場合、その判断の前提はすでに失われている
- 制裁再発動の波及:7月10日の米制裁再発動により、イラン産原油の供給減少が原油市場全体のタイト化につながる可能性。LNG価格への二次波及も注視が必要
まとめ ── 「終結」も「封鎖」も、3週間で覆る
この49日間が示したのは、地政学イベントの「決着」を前提にした調達戦略の危うさだ。6月17日に戦争は公式に終わり、6月18日には海峡が開き、7月8日にはすべてが逆回転を始めた。「終わったから大丈夫」も「封鎖されたから高止まり」も、どちらも数週間で覆った。
必要なのは、情勢の予測精度を上げることではなく、どちらに転んでも耐えられるポジションを常時把握しておくことだ。スポット・相対・先物の構成比、燃料費調整のタイムラグ、需要期のエクスポージャー──これらをリアルタイムで可視化できているかどうかが、次の急騰局面での明暗を分ける。
