前回は、量的供給力確保義務に対応するための調達ポートフォリオの設計方法を解説しました。相対契約、先物取引、中長期市場取引、自社電源、共同調達 ── 複数のチャネルを組み合わせた調達体制を構築することが、義務達成の基本戦略です。

しかし、ポートフォリオを「設計」することと、それを日々「運用」することは、まったく別の難しさを持っています。今回は、なぜスプレッドシートベースの管理では限界があるのか、そしてETRM(Energy Trading and Risk Management)がどのような課題を解決するのかを掘り下げます。

電力取引管理の現場で起きていること

調達チャネルの多様化は義務達成のために不可欠ですが、同時に管理業務の複雑性を大幅に増加させます。以下は、業界で広く聞かれる管理上の課題です。

課題1: ポジションの全体像が見えない

相対契約はA部署が管理し、スポット調達はB部署が対応し、先物取引はC部署が担当する。各部署は自分の領域の数字を把握しているものの、「調達ポートフォリオ全体のポジションは今どうなっているか」という問いに即座に答えられる人がいない。

義務達成率の把握には、すべての調達チャネルを横断的に集計する必要があります。この集計作業に1週間以上かかるとすれば、市場の急変動時に迅速な判断を行うことは困難です。

課題2: 市場価格の変動がポートフォリオに与える影響がわからない

「スポット価格が10円/kWh上昇したら、今月の調達コストはいくら増えるか」「先物の建玉の時価評価はいくらか」── こうした問いに答えるには、各契約の条件と市場データを突き合わせて計算する必要があります。

Excelでこの計算を行うことは不可能ではありませんが、市場価格は30分単位で変動するため、手動での更新では常に「過去のデータ」に基づく判断になります。

課題3: 契約の更新・期限管理が追いつかない

調達チャネルを増やせば、契約件数も増加します。各契約の期間、数量、単価、更新条件、解約通知期限 ── これらを正確に把握し、適切なタイミングでアクションを取ることは、件数が増えるほど困難になります。

ある相対契約の更新通知期限を見落としたために、想定よりも不利な条件で更新されてしまった、あるいは契約が終了してしまい調達の穴が空いた ── といった事態は、管理が属人的である場合に起こりやすい問題です。

Excelベースの管理が破綻する3つの構造的理由

これらの課題は、担当者の能力や努力の問題ではなく、管理ツールとしてのExcelの構造的な限界に起因しています。

理由1: リアルタイム性の欠如

電力市場は30分単位で価格が変動します。しかし、Excelは本質的に「バッチ処理」のツールです。データを手動で入力し、計算式を実行し、結果を確認する。このサイクルは、市場のリアルタイムな動きに追従するには根本的に不向きです。

義務達成率の計算、ポジションの時価評価、リスク指標の更新 ── これらが「昨日の数字」に基づいていては、意思決定のスピードが市場に追いつきません。

理由2: 属人化のリスク

複雑なExcelシートは、作成者にしか全貌が理解できない状態に陥りがちです。計算式の意図、マクロの動作、暗黙のルール ── これらが担当者の頭の中にだけ存在している場合、担当者の異動や退職により管理体制が一夜にして崩壊するリスクがあります。

量的供給力確保義務への対応は、数年単位の継続的な取り組みです。担当者の交代を前提とした、属人化しない管理体制が必要です。

理由3: スケーラビリティの限界

調達チャネルが1〜2種類で契約件数が10件程度であれば、Excelでも管理は可能です。しかし、義務対応のために相対契約を増やし、先物取引を開始し、中長期市場が開設されれば、管理対象は急速に拡大します。

契約件数 × 調達チャネル × 期間 × 価格変動 ── 管理の複雑性は掛け算で増加しますが、Excelの管理能力は線形にしか拡張できません。ある臨界点を超えると、「管理のための管理」に時間を取られ、本来の業務である調達戦略の立案やリスク評価に充てる時間がなくなります。

ETRMとは何か

ETRM(Energy Trading and Risk Management)は、エネルギー取引とリスク管理を統合的に支援するシステムです。海外のエネルギー市場では、電力・ガスのトレーディングを行う事業者にとっての標準的なインフラとして広く普及しています。

日本市場においても、2016年の電力小売全面自由化以降、市場取引の拡大に伴い導入事例が増加しています。量的供給力確保義務の導入は、ETRMの必要性をさらに高める要因となることが予想されます。

ETRMの4つのコア機能

1. ポートフォリオ管理

相対契約、先物取引、スポット市場調達、自社電源を一元的に可視化します。各調達チャネルの契約量、残量、期間、単価をリアルタイムで把握し、調達ポジションの全体像をダッシュボードで確認できます。

義務達成率の自動計算もこの機能の一部です。N-3年度前、N-1年度前の義務水準に対する現在の確保率を常時モニタリングし、不足が見込まれる場合にはアラートを発出します。

2. リスク分析・シミュレーション

VaR(バリュー・アット・リスク)計算、感度分析、シナリオシミュレーションにより、市場変動がポートフォリオに与える影響を事前に定量化します。

「スポット価格がX円上昇したら調達コストはいくら増えるか」「先物でY MWhヘッジした場合のリスク削減効果は」── こうした問いに対して、データに基づく回答を提供します。

3. コンプライアンス対応

義務達成状況の自動トラッキング、取引記録の体系的な管理、監査証跡の自動記録など、規制対応に必要な機能を備えます。

供給計画の提出に必要なデータの集計や、監督機関からの照会に対応するための資料作成を支援し、コンプライアンス対応の工数を大幅に削減します。

4. レポーティング

経営層向けのサマリーダッシュボード、リスク管理委員会への報告資料、供給計画のドラフトを自動生成します。データの手動集計から解放されることで、意思決定のスピードが向上するとともに、人為的なミスのリスクも低減します。

なぜ今、日本の電力市場でETRMが求められるのか

ETRMは海外では既に一般的なインフラですが、日本の電力小売市場ではまだ導入が進んでいない事業者が多いのが現状です。しかし、以下の環境変化により、ETRMの必要性は急速に高まっています。

ETRMの必要性を高める4つの環境変化

量的供給力確保義務の新設 ── 義務達成率の継続的なモニタリングが必要となり、手動管理では対応が困難になります。

電力先物市場の拡大 ── 2024年実績でスポット比29%に達した先物市場は今後さらに拡大が見込まれ、先物取引を含むポートフォリオ管理の高度化が求められます。

中長期取引市場の開設 ── 2028年の市場開設により、管理対象となる調達チャネルがさらに増加します。

規制強化の方向性 ── 義務未達時には指導・勧告(事業者名公表)の対象となり、将来的には容量拠出金の追加徴収の導入も検討されており、コンプライアンス対応の重要性が高まっています。

仕組みなしでの義務達成は、年を追うごとに困難になります。早期にリスク管理の基盤を整えた事業者が、制度開始後の混乱を余裕を持って乗り越えることになるでしょう。

まとめ

次回の最終回では、ETRMを導入することで具体的に何が変わるのか ── 義務対応の実務フロー、導入のステップ、検討のポイントを解説します。

出典:
資源エネルギー庁「小売電気事業者の量的な供給力確保の在り方について」(第10回 電力システム改革の検証を踏まえた制度設計WG資料、2026年3月17日)
JEPXスポット市場取引量に対する電力先物取引高の比率: 2024年実績

※本記事に記載の義務水準・市場動向は2026年3月時点の情報に基づいています。